親が私に与えた最大の不幸は生そのもの
とか言ってないと崩れてしまいそうで。
ママパパごめんね。パパはどっか消えたけど。
死にたいとかほざくだけほざいといて結局今も生きてるのはロープに首をかける勇気がないだけ。いやかけるだけならできるの、全体重をかける勇気がないの。
たとえ目の前に飲めば安楽死できる錠剤があっても飲めないだろうなとも思う。
それはきっと生きてくことにほんの少しの希望を抱いてしまってるから。
酒がうまいなとか遊ぶの楽しいなとか化粧がうまくいったなとかそんなちっぽけな楽しみ幸せを期待しちゃってるから。
あぁ無常。
みんな死ねばいいのに。
世界がなくなればいいのに。
わたしたちってなんなの?意識があって、体があって、細胞があって脳みそがあって骨があって臓器があって血液が流れてて皮膚があって筋肉があって。で、なに?
とかいつものように考えてるけど今日は仕事つらかったなあ。ほんと嫌になるな。
そして帰宅してテレビつけたら佐藤健と土屋太鳳の8年ぶりの花嫁?的な映画やってて終始観てた。別に共感も感動もない。演技うまいなあとは思ったけど演技ならわたしだって普段から他の人間の前でやってるし。親とか友達とか他人全員に。わたし以外わたしじゃないの(絵音)
土屋太鳳扮するヒロインが病気で何年も寝たきりになってしまい、結婚の約束までした佐藤健扮する彼氏はずっとそばにいて一途に彼女が"戻ってくる"のを待ってるって話ね。
そこで思った。一番つらい時にそばにいてあげたいって、すごいよね、わたしこう思えない。
話を聞くことも相槌打つことも励ますことも共感することも話題を出すこともこっちのエネルギーをかなり消費するから。でもそれを惜しまないってやっぱ愛なんだね。わたしは愛を知らないんだきっと。だって自分が一番大切だから。相手のために自分は疲れたくないし、そもそも疲れるとか思わないよ、って言う人はなんなんですか仏ですか、ってな。
だから母親のことはほんとうに尊敬する。何が何でもきっと子供4人を優先するもん。異常でしょ。異常だよ。
わたしはたとえば「仕事つらい」って言われただけでなんて返せば相手にとって一番欲しい答えになるのかわかんない。
相手が望んでる言葉を言いたいとばかり考えてしまってる時点ですでにキモい。言いたいことも言えない世の中じゃポイズン。
今日と明日はお休み。でもなにもしたくない。なにも、したくない。